日本の伝統文化「戸籍」について
戸籍制度の歴史は非常に古く、日本の社会構造や行政の変遷とともに発展してきました。以下にその概要をまとめます。
宗門人別改帳は、家族構成や生年月日、職業などを記載し、寺請制度の一環として機能しました。
古代の戸籍
最も古い戸籍は6世紀中頃に始まりました。当時は「名籍(なのふだ)」と呼ばれ、渡来人(海外から来た人々)の記録を目的としていました。
645年の大化の改新後、670年に「庚午年籍(こうごねんじゃく)」が作られ、これが日本で最初の全国的な戸籍とされています。
中世の戸籍
鎌倉時代や室町時代には、戸籍に類似した制度が存在していましたが、詳細な記録は残っていません。
安土桃山時代には、豊臣秀吉による「太閤検地」が行われ、土地や農民の情報が記録されました。
江戸時代の戸籍
江戸時代には地域の寺社や領主がまとめる、「宗門人別改帳」や「過去帳」などが戸籍の役割を果たしていました。
宗門人別改帳は、家族構成や生年月日、職業などを記載し、寺請制度の一環として機能しました。
明治5年式戸籍(1872年式・壬申戸籍)
「戸籍法」明治4年4月4日大政官布告第170号・明治5年2月1日施行
明治維新以降我が国は近代国家建設に向けて全力で邁進することとなります。その上で国民全体を正確に把握することが重要となりました。人口統計や動向から徴税や徴兵など国家として国民に関する情報を一元的に管理する重要性は、当時世界をリードしていた欧米列強から学んだものと思われます。そのために現在に繋がる戸籍制度の整備は不可欠でした。
明治5年(1872年)に初めて全国統一様式にて戸籍制度が整備されました。
一般に「壬申戸籍」(じんしんこせき)ともいわれています。
戸籍の編成単位は「戸(こ)」で、本籍は住所地とされ、現在の住民票の役割もはたしていたようです。
「戸」とは「家」「家庭」であり、一家・一族をまとめて記録化するような形態でした。
この壬申戸籍の特徴は、「皇族、華族、士族、平民」といった身分事項の登録があった事です。
また一般庶民は、「農工商雑」といった職業及び業種も記載事項となっていました。
その他にも現在の戸籍には記載されない身分や門地に関わる情報が詳細に書かれていたようです。
しかし、このような個人情報が分かってしまう本様式の戸籍は、差別問題に繋がるものとして昭和43年以降は各地方法務局に厳重保管され閲覧や謄本の交付が禁止されており、入手は出来ないものとなっています。
明治19年式戸籍(1886年式)
「戸籍取扱手続」明治19年10月16日内務省令第22号、「戸籍登記書式等」同日内務省訓令第20号
本籍の表示は前制度と変化はありませんが、屋敷番ではなく地番が採用されるようになりました。現代風に近づきましたね。
また出生、死亡、婚姻、養子縁組の記載もなされるようになりました。これにより一人一人の生涯が分かるようになりました。
本戸籍が現存している中で一番古い様式の戸籍です。
明治31年式戸籍(1898年式)
「戸籍法」明治31年6月15日法律第12号同年7月16日施行・籍法取扱手続」明治31年7月13日司法省訓令第5号
「家」を基本単位とする戸籍制度が開始されました。旧憲法下における戸籍の最大特徴が確立。
明治31年に制定された民法(旧民法)では、人の身分関係に関しても詳細な規定を設けられることになり、本籍地、前戸主、前戸主との続柄、戸主となりたる原因及び年月日、家族との続柄等が記載されていました。ここでさらに人の生涯や「家」の歴史をより鮮明化する記載内容へ進化した形です。
特に「身分関係」については、戸籍簿とは別に「身分登記簿」が編纂されることになったのもこの改正によってでした。
大正4年式戸籍(1914年式)
「戸籍法改正法律」大正3年3月30日法律第26号・「戸籍法施行細則」大正3年10月3日司法省訓令第7号、施行大正4年1月1日
「身分登記簿」が事務の煩雑化を理由に廃止され、「戸籍簿」に一本化されました。
戸籍登載者一人一人に、両親、生年月日、家族の中で占める位置(長男の嫁、孫)などが記載されるようになりました。これにより戸籍登載者の関係性を判別がよりし易くなりました。
なお、従前の「身分登記簿」は現在では入手不可能ですが、この改正で戸籍へ掲載されることとなったため情報収集上は問題はありません。
昭和23年式戸籍(1948年式)
「戸籍法を改正する法律」昭和22年12月22日法律第224号・「戸籍法施行規則」昭和22年12月29日司法省令第94号、施行:昭和23年1月1日
戦後となり全面的に現行憲法制定により戸籍法も大幅に改正され、現行の戸籍制度が制定されました。
家を基本単位とする戸籍から、「夫婦」を基本単位とする戸籍に変更されました。また「戸主」という表記は廃され、当該戸籍を代表する方は「筆頭者」と記載されるようになりました。
またそれまで記載事項としていた、「皇族、華族、士族、平民」といった身分事項も廃止となりました。(ただし昭和43年以降発行の戸籍謄本等発行においては非表示)
なおこの改正は昭和23年施行でしたが、戦後の混乱期であった影響もあり実際に戸籍の改製が行われてた(改製対応は市町村)のは昭和32年頃になります。
平成6年式(1994年式)
「戸籍法及び住民基本台帳法の一部を改正する法律」平成6年6月29日法律第67号・「戸籍法施行規則」法務省令平成6年6月29日法律第67号、施行:平成6年6月29日
戸籍事務の電算化が始まり、コンピュータによって戸籍を管理出来るようになりました。
それまでの縦書きから横書きの様式になり、従来の戸籍謄本は「戸籍全部事項証明書」に、戸籍抄本は「戸籍個人事項証明書」または「戸籍一部事項証明書」と名称が変わりました。
なお、コンピュータによる戸籍管理の実施は各自治体によって異なります。実際には平成10年代から都市部区市町村で実施が広がり、多くの自治体は平成20年代までには対応がなされているようです。
ただしコンピュータ化への移行は莫大なコストと事務負担が生じるため、未だ従前の「戸籍謄本」のままである自治体も散見されます。
まとめ
明治時代から戦前までの戸籍は一家・一族の単位で国民情報を把握する性質であり、また現代の住民票の様な意味合いも持たされている性質もありました。
「戸」=「家」「一族」
という考えから戸籍の筆頭にある者をその家や一族の長、家長として、戸主(こしゅ)と呼ばれました。
現在の戸籍では筆頭者はなくなっても筆頭者であり続けますが、戸主は死亡の他「家督相続」で「隠居」すると「前戸主」となり新たに家督相続を受けた者(前戸主の長男等)が戸主となる形式でした。
また、分家や婚姻(当時は特に女性)、養子縁組等でなければ、戸籍を抜けることはなかったため、戸籍に載る方はどんどん増えていく一方であり、戸籍謄本によっては10枚以上に及ぶものも珍しくありません。
こうなると親族関係は広範囲でわかるものの、その読み解きは経験や知識が伴わないとなかなか出来ない代物です。
現在では婚姻・離婚、分籍などにより戸籍は分かれることとなり、戸籍全部事項証明書(戸籍謄本)は大変読み解き易くはなりました。反面、細かく分かれた様な形態により、ご先祖を調査するには細かく戸籍を追っていく必要があります。これは根気がいる作業であり時間や手間、費用も嵩むところです。
現在では本籍地を異動させる「転籍」が比較的簡単に出来るところから、「本籍地=住所」と思い込んでいる方などは引越する度に転籍届も出してらっしゃる方も少なくありません。
現行制度では本籍地を住所にする必要はありません。また転籍をすると戸籍記録もコマ切れとなり、「出生~死亡」という条件で戸籍を収集する際はかつて本籍を置いた戸籍(除籍謄抄本・戸籍全部事項証明書)を1件1件取得する必要が生じます。全国規模で転勤されていた方が転勤の度に転籍もされていた事例もあります。
戸籍の取得方法は2通りで、本籍を置いている市町村役所・役場の戸籍証明書担当窓口に請求する方法とそれを郵送にて行う方法があります。郵送請求の場合は手数料を当該金額分「定額小為替」を購入し同封する必要があるため、手間だと感じる方は少なくありません。この定額小為替は郵便局で発行されますが、現在は額面に寄らず1枚200円が額面以外に徴収されます。
また令和6年3月1日より戸籍の広域請求も始まりどこの市役所・町村役場からも戸籍謄本等の請求も可能にはなりました。
ただし、戸籍謄本等請求には正確に「本籍地」「筆頭者(戸主)」を申請書に記載する必要があります。この二点、番地が違う漢字が違う、というレベルで「不存在」という回答となるケースがあり、また役所職員からはヒントすら与えてもらえません。
戸籍記録は1つ戸籍謄本等取得しただけでは足りることはなく、複数を組み合わせて初めて完成する場合が多く、結婚・婚姻・養子縁組・養子縁組解消・分籍・転籍といった事柄を複数回繰り返している方の戸籍はその分請求回数は増えます。
行政書士事務所VERDE 行政書士 山本 謙 は市役所で長年戸籍事務に携わった経験があり、窓口において多様な事例にあたった経験があります。
家系図作成・ご先祖調査、そして緊急にまたは事前に遺産分割協議書等作成に係る戸籍情報を確認したい方、是非是非ご相談ください。
あなたの「本籍地記載」住民票1枚からご先祖の戸籍情報を調査することが可能です。
